福島県生涯学習インストラクター・コーディネーターの会

曙光15あいさつ

先人の知恵

顧問:湯田 善一

  日本はかってない高齢化社会を迎えている。この社会の到来は、誰しもが待ち望んだことであり喜ばしいことである。しかし、現実にそう手放しで喜んでいいのだろうかと思う。いつの世にも老人は“厄介者”として、どこかの片隅に追いやられる、そんな風潮があるからだ。かって、老人の悲哀を描いた映画に“楢山節考”があった。
 楢山節考は、昭和33年(1958)に、作家深沢七郎さんの小説“姥捨て山伝説”を題材に、木下恵介監督がメガホンをとり、女優田中絹代主演により初映画化された不朽の名作である。当時この映画を見た私は、因習のおぞましさに身も凍る思いをしたのを憶えている。
 民俗学者の柳田国男さんは、この姥捨て山伝説から、“親孝行”と老人には“経験的に身につけた知恵”があることを読み取っていた。
 その知恵とは、例えば「火を紙に包め」という。これに対し若者たちは、燃えている火を紙で包もうとするが、どうしても紙が焼けてしまう。これを見た老人は「提灯に火をともすように」と教える。さらに、「今日一升の小豆を、明日までに二升にして来い」という。これにも「一升の小豆を一晩水に浸しておけば、明日には二倍にふくれ、二升になること」を諭す。そこには、赤飯を炊くときの知恵があった。また、「老人の唾は糊ほど強い」という諺には、「知恵の大切さ」が隠されているという。私は、本当に人が学ばなければならないのは、経験的に実証し継承されて来た、この“老熟”ともいえる“先人の知恵”ではないかと思う。そして、この知恵を学ぶことがいかに大切であるか、それは“人が生き抜くための知恵”と言っても過言ではない。
 去年、3・11の東日本大震災。3月28日の読売新聞には「“てんでんこ”三陸の知恵、子供たちを救う」との記事が載り、先人の知恵の素晴らしさを驚嘆する。
 “てんでんこ”とは、度々津波に襲われた三陸地方の人々の、苦い経験から生まれた言い伝えで「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりが“てんでんばらばら”になっても、早く高台に逃げろ」という、命に対する臨機応変の教えであるが、釜石市ではこの教えを防災訓練に取り入れていた。そのことが津波の当日、全小中学生約2900人のうち、病欠者などの5人を除きほぼ全員の命が救われ、悲惨を極めた中で唯一の明るい話題となった。その一つを紹介するとこうである。
 「釜石小では、全校児童の184人が学期末を控え、短縮授業を強いられ8割の児童が下校していたが、“てんでんこ”の教えが効を奏し、全員が高台に逃げ無事だった」という。学校近くの住宅街で遊んでいた、小学六年藤本響希君(12)も「家族が心配だったが、無意識に高い方へ逃げていた」と証言。避難所で家族との再会を果たしている。
 一方、地震直後、学校の作成したマニュアルどおり児童全員を校庭に集め、避難のための点呼をしていた石 巻市の大川小。避難に間に合わず、その8割が大津波に呑まれる。避難の場所も山の高台ではなかったという。父兄は「なぜ奥の山へ避難させなかったのか」と悔しさを滲ませる。そして一人しか残らなかった教師、学校は廃校となった。児童の生死の明暗を分けたものは何か。それは、“てんでんこ”という先人の知恵の教えではなかったかと回想する。今、私は“その知恵を学び、それを展開し、そして語り継ぐこと”、これが本当の生きた生涯学習ではないかと考えている。

 

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